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株式会社文明堂東京

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株式会社文明堂東京の歴史は、1900年、明治33年に中川安五郎が長崎で文明堂を創業したところから始まります。1992、年大正11年に安五郎の実弟の宮﨑甚左衛門が東京に進出、上野に東京一号を出店したところが、文明堂東京の創立になります。1923年、大正12年には、関東大震災により店舗を焼失し、一時期、長崎へ戻りますが、1925年には、宮内省の御用等となり、2000年には、文明堂同率100周年を迎え、2010年には、文明堂新宿店、文明堂日本橋店が合併し、株式会社文明堂東京が設立されました。>

 

文明堂の沿革

1990年 中川安五郎、長崎丸山町にて文明堂創業
1922年 安五郎の実弟宮﨑甚左衛門東京進出、上野黒門町に東京一号店を出店(東京文明堂 創立)
1923年 関東大震災により店舗焼失、一時長崎へ帰る再び上京、麻布箪笥町に出店
1925年 宮内省(現宮内庁)御用達を賜る
1933年 文明堂新宿店設立
1935年 電話帳の裏表紙全体に「カステラは一番、電話は二番」と大きく宣伝を出す
1939年 銀座店開店
1945年 東京大空襲で店舗焼失
1951年 文明堂日本橋店設立
1957年 テレビコマーシャル開始
2000年 文明堂創立100周年を迎える
2010年 ㈱文明堂新宿店・㈱文明堂日本橋店が合併し、株式会社文明堂東京設立
2014年 ㈱文明堂銀座店・文明堂製菓㈱が合併、㈱文明堂東京・㈱文明堂銀座店がグループ化

様々な危機を乗り越えてきた歴史

1900年に長崎で創業し、その後に創業者の弟(宮崎甚左衛門)が佐世保で独立しました。これが文明堂東京のルーツになります。当時佐世保は軍港だった為、海軍をお客さんとして商売をしていました。ところがワシントン海軍軍縮条約(1922年:各国海軍の戦闘艦艇の数や、主兵装の火砲の口径、排水量などに制限を設ける条約)により海軍が減ってしまい、どうしようか?と宮崎甚左衛門が悩んだ末に出した答えは東京へ進出することで危機を乗り越えようとしました。また、1923年には、関東大震災で店舗が焼失、1945年には東京大空襲で再び店舗が焼失など様々な危機を乗り越えてきました。

「カステラ一番、電話は二番」のCM秘話

誰もが聞いたこと、見たことがある、文明堂のCM。このキャッチコピー実はオリジナルではありません。元ネタがあるそうで創業者の本にも記されていますが、宮崎甚左衛門が大阪に行った際に「肉は1番、電話は2番」とキャッチコピーを出して宣伝しているすき焼き屋があったそうです。これに感銘を受けた彼は東京に戻りすぐに、各地域の電話の2番を取得したと話が残っています。

たゆまぬ革新と前進、人々の幸福の追求

文明堂東京の企業理念は、「社会の貢献、顧客からの信頼、最高の品質、最高のサービス、たゆまぬ革新と前進、人々の幸福の追求」とあります。つねにお菓子の開化を続け、善意を積み重ねて、誰かを想うお客様のために最高品質のお菓子と最高のサービスの提供を心がけて、事業を行っています。


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