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堀井七茗園

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抹茶といえば宇治の抹茶が有名ですが、今回は農林水産大臣賞を受賞した堀井七茗園様をご紹介します。
堀井七茗園様は、発明奨励賞を受賞した「お茶をおいしく飲む急須」やドライジンとのコラボレーションなど、様々な取り組みをされていらっしゃいます。
今回は、堀井七茗園 代表取締役社長の堀井 長太郎 様に取材させていただきました。

堀井七茗園の抹茶の魅力

うちの魅力は、茶園の栽培からすごく大事にして、製造まで一貫体制ができているところです。戦前までは宇治の問屋は茶園を持ちながら商売をするのが普通でした。しかし、戦後の農地改革で茶園が減り、茶園の経営と商売の両立が難しくなりその数は減っていきました。そのような中で、うちは今でも生産から販売までずっと行っています。

また、先代が”成里乃”というお茶を見つけてくれたこと。それから宇治で一番古い茶園を持っていることが、他にはない強みです。品質はやはり裏切らないので、どの方が飲まれても喜んでいただける。それが一番ありがたいことだと思っています。

栽培とこだわり

600年続く堀井七茗園様の茶園

宇治独特の栽培法

毎年5月に一番茶を採ります。その前年の秋から、毎月のように油粕主体の有機質の肥料を入れてじっくり効かせていくことで効果を生み出す栽培をしております。さらに、新茶前には直射日光を遮ってゆっくりと新芽を育てる覆下(おおいした)栽培という、宇治独特の栽培でやっております。
このようにして育ったお茶の旬は「3日しかない。」と言われておりまして、その3日を目指して、毎日茶園を覗きに行って葉の状態を見ながら摘む時期を決めます。茶摘みの際も必ず手で一芽一芽、新芽だけを摘ませていただくなど、摘み方にもこだわりをもっています。

摘まれたお茶はその日に製造

それから、摘まれたお茶はその日のうちに必ず製造することにしています。中でも、お茶は“蒸し”の作業が一番肝心です。お茶が蒸された香りや色を確かめて製品に結びつけるということを、摘んだその日に必ずやっております。
そのため、使える原料が少ないです。なので、蒸しのやり方を変えようと思ってもやり直しが効きません。それが難しいところです。
そのようにして旬の3日間に製造するお茶は、ほとんど品評会に出すような素晴らしいお茶です。

宇治茶の歴史

生産初期の写真

宇治茶のはじまり

宇治茶そのものの歴史は、鎌倉時代に明恵上人が京都の高山寺というお寺に入れたことが始まりだと言われています。宇治茶は長い間、大名や将軍など、時の一番有力な権力者に重宝されておりました。そういう、美味しいお茶を持つということが権力の現れでした。そのような時代背景で、一般庶民のお茶ではなく特権階級のお茶として、常に存在してきました。
普通の商品として流通し始めたのは、江戸時代の中期から末期です。煎茶ができたのが300年前の江戸時代中期ごろで、その頃から茶は商品として一般の人にも飲まれるようになってきました。うちの初代は文化・文政時代ですから、江戸末期にそういったお茶作りから始まってきたのではないかと思います。明治に入り、横浜で開催された製茶共進会にも出品しています。

600年続く歴史

一般的にはお茶は中国から伝わってきたものだと思われていますが、実は抹茶も煎茶も玉露も全て日本で初めて作られたものです。
抹茶は大体室町時代に作られたとされています。当初はおそらく茶園の上に覆いをして育てるということはなかったと思います。しかし、400年前のポルトガル人宣教師の日記に、茶園の上に覆いがしてあると書いてあるため、その頃には覆いをして抹茶を作っていたと思われます。近年の調査では、550年から600年くらい前の土壌まで茶園を覆う藁の成分が見られることも分かっていて、それだけ宇治の栽培には歴史があるということだと言えます。

“お茶を美味しく飲む急須”について

この急須は先代が考え付いたもので、発明奨励賞というものをもらっています。
お茶を入れたときにお湯が絞りきれずに溜まると、二煎目がすごく渋くなってしまいます。ですが、この急須は底に傾斜がついているなど、流れたお湯がお茶と分離するように工夫がされています。なので、二煎目も美味しく入るということです。

先代について

先代は探究心のある人で、今うちで出している”成里乃”という品種も、よくあんな木を見つけたなというのが私が一番感心するところです。
成里乃と他の木との違いに関しては、勢いや葉の染まり具合など、何かあったのだと思います。

お茶を製造するときには最低30キロ必要です。ですが品種開発には挿し木で育てた少量の新芽しかなく、それを茶碗蒸し用の蒸し器で蒸して、電子レンジで乾燥させて、そこで自分でお湯で浸出させて良さを確かめていました。その帳面はきっちり残っていて、一つずつ摘んで、一つの枝に出ている葉の数やグラム数などが20種類くらいズラッと書いてあります。

急須も、自分で手で捻って作り、窯元に持って行ってきれいな形にしてもらっていました。

品質本位

お茶の良さというのは、お菓子などと違って見た目では分かりません。だからこそ、常に長くあるのは品質本位の考え方です。見た目ではなく中身を重視したものを販売せよ、ということでずっと続いてきているのだと思います。

“目利き”について

目利きは一番大事ですね。新茶の時期になると京都でお茶の市場が開かれるのですが、出ているものを全て飲んで確かめるわけにはいきません。なので、葉っぱの形や香り、お茶の水色(すいしょく)を見て、ある程度良し悪しを判断しています。

それが分かるようになるまでは、大体15年から20年くらいはかかります。初めは一生懸命お茶の良し悪しを見るために勉強をするのですが、40歳くらいになると自分はこのお茶が好きだ、というものができます。そうして、好きなお茶に集中して仕入れていくことで、自分のところの特徴があるお茶につながっていくわけですね。

ですから、お店によって香り重視のお店があったり、葉の形を重視するお店があったりします。宇治茶の中にも問屋さんがたくさんあるというのはそういうことだと思いますね。

葉の形というのは、製造の時に蒸し加減や葉、形を重視する製造方法があるわけです。例えば静岡の深蒸し茶などは、淹れるときに緑色がしっかり出るように1分近く蒸して葉を粉々にしますが、京都のお茶はそれをやらずに形を残してゆっくりと味わっていただく形になっています。生産量で言うと宇治は静岡よりもかなり少ないですから、昔のそのままの製法が今も続いていると思っています。

農林水産大臣賞受賞のポイント

やはり日々の生産・栽培の管理ですね。一番良かったのは、旬に摘んだということだと思います。お茶の木は、ちょうど植えてから30年くらいになると、一番良さが出ます。  

それから、蒸しが良かったのもありますね。さらに、品評会に出すときは昔ながらの方法で、手作業で選別作業をしています。そういった周りの要素全てが良かったのだと思います。

実は、先代である父親は、お茶の蒸し作業は譲りませんでした。農林水産大臣賞を受賞した翌年に亡くなるまでやっていて、私が蒸し作業をしているのはそれ以降なので、まだ10年くらいです。毎年一回しかできないので、やっと小学校を出たくらいのものでしょうか。 

父親から引き継いで以降は、全国の品評会でなかなか一等に入れません。去年の品評会でやっと一等に入ったのですが、一等の一番になるというのはなかなか難しいです。親子で一等一番を取ることが夢なので、それを目指して頑張っています。

お茶の栽培に適した気候条件と土壌

この付近では、宇治川が北向きに流れていて、その川の蒸気が北風を防いでくれます。そのため、宇治はすごく温暖な地になっています。また、宇治の町は扇状地で砂地になっているので、その点でもお茶の栽培に適しています。そういった気候条件と土壌が凄くお茶作りに合っていたことが、宇治のお茶を育てた一つの大きな要因です。

いつも思っていますが、600年以上一つの作物の産地として滅びないというのは、おそらく他では無いでしょう。恵まれた気候条件や、お茶作りにかける情熱、その土地の権力者に愛されていたことなどが相まって、今でも続いているのだと思います。

海外への展開について

「旨味とコク」を海外に伝えていきたい

お茶の良さは、日本だけでなく海外の方にも広めていきたいと思っています。ただ残念なことは、お茶を「ただ健康に良いから。」という理由だけで飲まれる方が多いことです。安価なものは中国などでいくらでも作れますから、宇治としては美味しさだとか上質なもの、品質の良さを追い求めていきたいと思っています。

海外ではオーガニックだとか有機栽培が注目されていますが、宇治のお茶の良さはそこではなく、旨味やコクにあります。ですから、その良さを伝えていかないといけないと思います。

海外でも注目される「成里乃」

現に、海外向けのECサイトを個人的に運営している方を見ると、安価なものだけでなく、高価なものを求められる方はおられます。やはり、そういった美味しさの部分を求められているところは沢山あるのではないかと思っています。

うちの商品で言うと、パリで”成里乃”はすごく注目されています。これは有機とかオーガニックとかではなく、「素晴らしい抹茶というのはこういうものだ。」ということが浸透していっているのではないかと思っています。お茶の美味しさを知っていただくには、品質の良いものを宇治から発信していくのが一番良いのではないかと思っています。

品質本位の姿勢

3年ほど前中国で碾茶を生産されている方が来店し、店舗に飾ってある三代目長次郎が1924年日本で初めて考案した「堀井式碾茶乾燥機」の模型を見て、新しく開発された乾燥機よりこの方がより良い品質のものが出来ると、言ってました。その話を聞き、製造機械関係はどんどん中国へ伝わっています。競争するのであれば栽培技術で良いものを作らないといけません。

宇治が注目を浴びているからこそだと思いますが、宇治というブランドを汚したり、がっかりさせたりするようなことをしていてはいけないと思いますね。

そういったこだわりの中で、うちは石臼挽きしかやらないとか、一番茶しか取り扱わない、というのを抹茶の基本の部分として、品質本位の姿勢を貫いています。

海外の方からの問い合わせ状況について

多いですね。ただ、残念なのは、品質を見るのではなく、価格の交渉をして終わりということが多いこと。どこの国でもそうです。
一方で、カリフォルニアでカフェをやられている方は、直接お茶を見に来て、生産現場から工場まで全てを見て、その上でこの品質であれば大丈夫だということで、何年も取引が続いています。そのように実際に見てもらった方は品質を大事にしてくださります。

若い人たちに向けてお伝えしたいこと

宇治での話をすると、茶摘みさん不足ですね。茶摘みさんをいかに確保して、丁寧な茶作りを維持するかというのは重要だと思います。一方で、宇治の抹茶づくりには若い人も結構いらっしゃいます。そしてそういった方々は、お茶の品質を求めて良いものを作っておられる方が凄く多いです。これは、宇治のブランドを汚さないようにということだと思います。  

また、周辺部に行くと、ハサミや機械摘みでやって、栽培面積を増やしている方も沢山おられますが、それはそれで凄く努力されています。そういった若い人たちの努力を、茶商はしっかり受け止めてそれなりのことをしてあげないといけないと思います。

京都は以前から、生産者と販売者が一体になって宇治茶を支えていくという形式が確立しています。他の生産圏を見ても、こうして一緒になって普及活動を行っているところは少ないですね。ですからこの形式をずっと踏襲しながら、宇治茶を盛り上げて行きたいと思っております。


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