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共想・共創「株式会社 能作」

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今回は、大正5年創業からの伝統と現代の革新を融合させ、躍進中の株式会社能作(のうさく) 様をご紹介します。

能作様の軸となっている思いやりの精神や、逆転の発想から生まれた世界初錫(すず)100%のKAGOシリーズのお話、そしてこれからの未来について、株式会社能作 代表取締役社長の能作 克治 様に取材させていただきました。

創業100余年、企業としての軸

やはり主軸になっているのは、伝統産業を支えてきた先人が培った技術力ですね。
うちはもともと下請けで仏具、茶道具、花器の生地を作っていた会社になります。自社製品の開発をして自分で売るようになったのは20年前からですので、自分たちで売ったり広めたりするという点よりも、そういった“技術力”が軸になっていると言えるのかなと思います。

製品へのこだわり

他人と違うことを

伝統産業や日本の工芸がどんどん下火になっている理由としては、他の人と同じことをやっているからだと思います。やはり他人と違うことをやらなくちゃいけないっていうのは昔からありますからね。

“競争”よりも“共想・共創”を

それから私としては、争う競争はしたくはないんです。共に想うとか共に創るとかの共想・共創をしていきたいと考えています。他人と同じことをすることは争いのもとになるので、世界で絶対にやっていないことを始めようと思ったわけです。

例えば、KAGOに関して言うと、まず、ある店舗の方から「ちょっと身近なものをつくれませんか」という声がありました。食器がいいということでしたが、日本の食品衛生法では銅合金で食器をつくるのは禁止されていたので、錫でつくることに決めました。ただ、他産地のように錫に銅やアンチモニーをいれて加工しては他産地の真似、競争に繋がってしまいます。

そこで錫100%の製品を作ることを考えました。ただ、錫100%だと簡単に曲がってしまうので加工が難しく、錫に他の金属を混ぜて合金にし、加工することが一般的でした。しかしながら、能作には鋳造の技術があるので厚さ1mmの原型を忠実に再現することができました。そもそも加工する理由は、表面を綺麗にするためと軽くするためです。あえて鋳造した状態で美しい商品を作れば、加工しなくてもいいのではないかという考え方と、鋳造のままだと鋳肌という日本人が好きな陶器風な砂の模様が錫に映るので、加工はしない方向で決めました。

曲がりやすいという点に関しては、コップや食器が曲がってしまっては変ですから、最初は欠点だと思っていました。しかし、「曲げて使えばいいのでは」と言うデザイナーさんの声や、私自身も鋳物自体にこだわりがある訳ではないことから、「たしかに、曲がる器があっても面白いかもな」と思いました。

物事に当然ということはなく、少しひねれば、そこから大きくはみ出した売れる商品ができるということに気づくきっかけになりました。

能作として成功の理由

ものづくりをしている人はたくさんいますし、皆さんいいものを作っています。一方で、それにどういう付加価値をつけるか、いかにPRしていくかというのが上手くいっていないんじゃないかなと思います。

商品を自分で作って自分で売ってみて分かったのですが、作るより売る方が大変でした。作る方に溺れてしまって、独りよがりになって売れないということは往々にしてあります。なので、まずはどうやって売るか、どういうコンセプトで売るかというのを最初に決めて、それからものづくりしていくべきだと考えています。

最初KAGOを作ったとき、作ってもらったデザイナーさんから「作って1年経ったけど、全然売れてない」という電話をもらうくらい全然売れなかったです。

転換点になったのは、日本橋に直営店を出した時です。お客さんが実際に曲げてみると「すごい」「おもしろい」と言ってくれたり、テレビで取り上げさせてほしいとメディアが反応をしてくれたりするようになりました。商品ができたという満足感で終わってしまっていて、作ったものを如何に広めていくかという売り方の部分を見ることができていなかったです。作るものによってそれぞれ立場が違うので、もちろんやり方も違うとは思いますが、この経験から今の考えに至りました。

このようにユーザー側から声が寄せられるというのは全然なかったので、一番ユーザーに近くニーズをとらえている、直接販売している人から聴いて商品開発をしていきました。デザインは付加するのはもちろんですが、ユーザーが求めているものは何かというのを直営店から持ち寄って行いました。今では国内直営店14店舗全店の声を集めた開発というのを行っています。

職人・従業員の教育

とにかく楽しく仕事を

能作では会社の目標や売り上げ目標を決めるとかは一切やりません。他の会社さんとは逆の方向に行っている会社で、とにかく楽しく仕事をすれば100%伸びるという感覚でやっています。特に直営店では、売り上げに縛られずに技術や地域のことを伝えることに注力しています。

技術は見て覚える

一般的に見て覚えろといいますが、実際私自身18年間現場にいて職人をやっていた経験があり、なかなか言葉で教えられることは少ないです。ですから、文章化や数値化は一切していなくて、先輩の職人さんが若い職人さんに教えるという方法でやっています。

方向性は伝える〜効率を追いかけない〜

一方、技術に関して言うことはありませんが、会社としての考え、方向性はずっと伝えています。

中でも、効率を追いかけないことを大事にしています。効率を追いかけてしまうと、そこからはみ出たことは相手にしないという考えになってしまうからです。ですから私はそうではなく、どんなに大きな会社でもどんなに小さな会社でもすべて同じ条件でお話をしようと社員に伝えています。会社が大きくなってくると、会社中心に物をいう人が増えてしまいますが、一人一人を大事に、相手中心の行動をしていかないと、どこかで歪みが起きてしまうと考えています。

確かに、ものづくりに関して言えば効率ってあると思うんですよ。だって相手は人じゃなくて物ですから。ただ、やっぱり相手がものではなく人のときは効率を追求すべきじゃないと考えています。絶えず同じ目線でやっていきたいと社員全員に重々伝えています。

立場を持つと、会社中心自分中心にものを言うようになってしまうのはダメだと思っています。どんな立場になったとしても、他人の言うことはしっかりと聞くということ、それが自分の方向転換のきっかけになることもあります。また、頑固になりすぎず、自分の反省は自分にとどめずにちゃんと謝るべきだとも考えています。

できないは言わない

できないという言葉は最後の言葉で、言ってしまった時点でそこから先はなくなってしまいます。「なんとかしよう」と応える意思があればそこから先に続くので、今の自分以上の能力が身につく訳です。自分を鍛えるための言葉として捉えて、未だに自分に課していますし、社員にも伝えています。また、従業員が増えるにつれて、全体に行き届かないこともあります。朝礼で目線の話などを話し、自ら気づいてもらうようにしています。他人からくどくど言われて変わる人というのはまずいないというのと、やらされてやるとなるとマイナス方向にしか考えられなくなって、楽しくなくなり離職率に繋がってしまいます。

従業員不足の解消

従業員数を増やすことができたポイントとしては、ブランド化だったと思います。私自身ブランドをつくろうと思ったことはありませんが、KAGOや産業観光が結果としてブランド化に繋がったのではないかと考えています。
それから、たくさんの良い人を集めようと思ったら、如何に世の中に自分の会社がどういうことをしているのかというのをどうやって知ってもらうのかが大事だと思っています。 
これは退職率が低い理由にも繋がります。辞めてしまう人の特徴として、どんな会社かわからないで入ってきて、思っていたのと違うという風になってしまう人がほとんどです。知った上で入った人というのは、「ああ、やっぱりこういう感じだ」と思うので、しっかりと仕事に取り組んでもらえます。従業員が誇りをもって働いてもらうには、会社の姿勢をしっかりと熟知して、世の中のために仕事をしているという意識づけをしていくことが大事だと考えています。

大事なのは『思いやり』

また、採用基準としては思いやりがあるかどうかというところを重視しています。以前、金沢に新しく出店した際に5名採用を予定していたところ、35名もの応募がありました。全員採る訳にはいかないので、履歴書や面接で判断しました。やはり人に対して思いやりがある人とない人では、協調性という面が大きく違ってきます。一人一人を大切に、相手中心に仕事をしてもらいたいと考えているので、仕事ができるできないではなく、他人に対してどう思いやりを持つことができるかという面で優秀な人材かどうかを見極め、優先的に採用しています。

伝統産業のイメージ払拭

小馬鹿にされても『見返してやりたい』

伝統産業だとしても、各地域の人たちは小馬鹿にすることもあります。なぜかというと、昔からある産業で、産業全体での高齢化や売り上げが落ちてしまっているという背景があるからです。実際高岡もそうでした。

高岡市内の小学生のお母さんから見学の依頼をされて、息子に「勉強しなかったらこんな仕事になるよ」なんて言われたことも30数年前はありました。その時にもうダメだと思う人もいるかもしれませんが、私は逆にそう思っている人を見返してやりたいなと思いました。

30年かけて『誇り』に

まず初めに、知ってもらうことが大事と思い、「過酷な仕事でもなんでもいい、こんな風にものづくりしているんだよ」というのを地元の人、特に子供中心に工場に入ってみてもらうというのをやりました。なので、高岡、富山県においては30年前の高岡銅器のイメージをもった人は今ほとんどいないと思います。実るまで30年かかりましたが、逆に誇りに思ってくれている人が増え、小学生の時に見学したという人がいま就職したいと来てくれるようになりました。

能作だけがそうかというとそうではなく、全国の同業者の方の仕事の価値観が変わってくると思います。たまたまうちが今の産業観光を30年前に始めたというわけであって、手法はまだまだたくさんあると思っています。ただ実践してきたのは間違いなくて、実際に高岡銅器に対する周りのイメージは変わってきたという実感はできるので、継続していくことの重要性というのは理解できました。

工場移設の背景

新しい工場に移転してからまだ5年しか経っていませんが、工場見学は30数年前からやっていたので、当時はもちろん鋳物製作体験はできないし、汚い工場を見せることしかできませんでした。7,8年前からは県外から大人の方も見学にくるようになりまして、最終年度では1万人の方が見学にこられました。そうなると、流石に小さな汚い工場では受け入れるのがなかなか難しく、それと同時にうちの注文が増えてきまして物理的に生産できるスペースがなくなってきたという背景があります。

また、製作体験をしたいという方や、この地域のごはんを食べてみたいという方もたくさんいましたので、すべてを賄った工場を作ろうと産業観光部という部署もつくり、今現在の工場ができました。

その当時は富山、あるいは高岡の人たちの意識を変えたいと思っていたのですが、今では県外からたくさんの人が来るようになったので日本の工芸の素晴らしさを伝えていけるようなポジションになったかなと思います。

臨場感あふれる工場見学

最初から工場見学に重きを置いたコンセプトを決めて、工場を作ったというのが他社との違いだと思っています。一般的によくガラス越しで見たり、二階の通路から覗いたりというのがありますが、うちの場合は工場の中を職人と同じ目線で見ることができて、熱や音、匂いを感じ取れる臨場感あふれる工場見学になっています。

白線を引いて、ここから先にはでないように工夫したり、工場には鋳物の「鋳」という漢字や錫であれば「錫」という漢字のサインを吊るしたりして、来た人が一目で分かるような工場づくりをしました。幼稚園児には、安全かつ楽しく見学できるよう、縄跳びで電車をつくってみんな入って一列になって進んでいく形で見せる工夫も行っています。

建築家にまかせたこと・思い切り

売上13億のときに16億の建設費をかけたことによく思い切ったねと驚かれますが、私としてはあまり気にしていませんでした。理由としては2つありまして、10年ほど連続して毎年15~20%売り上げが伸びてきていたということと、10数億で終わることはないぞという意識があったので思い切ってお借りしました。

また、建築のデザイナーさんには本当に必要なこと、体験工房やカフェの収容人数だけをお伝えして、他はお任せしました。建築において、予算を決めてしまうとなかなか建築家の方は思い切ったことができないということも分かっているので、私も最初16億でお願いしますと言いました。結局総工費19億かかり、3億オーバーでしたが、私自身根がかなりポジティブで、オーバーすることも読んでいたので思い切ってお願いしました。

広めるための取り組み

営業がいない理由

営業を持たない理由としては3つあります。

1つ目は前述の通り、奪い合いや競争は避けたいと考えているからです。もしうちが自社営業をつくり、県外で活動し始めた場合、問屋さんの邪魔をすることに繋がってしまいます。なので、営業ではない販路の広め方として「魅せる」という方法を取りました。具体的には取引先向けの展示会に出して、欲しいという人がいる場合には問屋さんとの取引があるかどうかを聞き、あれば問屋さんから買ってもらいます。もしなければ、取引を直接能作と行います。このようにして販路を広げてきました。

2つ目は、地域の人が県外に行く際にうちの商品を購入して、お土産として渡していただけることがあるからです。これができている理由としては、やはり地域貢献の面が強いと思います。企業というのは地域に座して、きちんと貢献すべきだと考えた結果、高岡の人たちも応援してくれているのだと思います。タクシーに乗って商談にきたお客さんの多くの方が、「タクシーの運転手の方が能作さんの話をいっぱいしてくれました」と言ってくれることがあります。これもまた、応援してくれている証ですし、もう既に商談成立しているんですね。

3つ目としては、どちらかと言えば営業するより営業される、そういう立場になりたいと思っているからです。ましてや、どんどん知名度があがっていくとそれがある意味営業ですし、こちらからあえて足を運ばなくてもいいのです。

コロナを乗り越えて

コロナ禍で感じたこと

新型コロナウイルスの影響は製造には問題なかったのですが、やはり売る方に影響はありました。当然ですが、直営店の売上が東京を中心に半減してしまいました。一方で、よく言われるようにインターネットの売上は2倍ほど伸びました。なので、インターネットの販路も大事だとは思ったのですが、逆に直営店を増やすことを決めました。今年は札幌に1店舗出店しました。これはなぜかというと、例えば直営店を出すと札幌の飲食店が能作のビアカップを使ってくれるというのが増えます。そうすると、そこで使ったことのあるお客さんが「あ、これ札幌で食事したときのビアカップだ、買おう」となる訳です。インターネットで買ってもらうためにも、直営店が重要です。ちゃんと伝えて売るということを重要視したいと、コロナ禍で猶更思いました。

『アウトバウンド』で海外へ

また、海外への展開としてインバウンドではなく、アウトバウンドで台湾にも出店しました。これは台湾の企業と合弁を組んで、台湾あるいは中国の文化を踏まえたうえでの商品開発をしていこうと思ったためです。地域によって違うので、アメリカならアメリカの、ヨーロッパならヨーロッパで合弁会社を作って、その地域で受け入れられるものを作っていきたいと、これもコロナ禍があってより強く思ったことになります。

ニューヨークで気づいたこと〜売れる場所は必ずある〜

海外で売ってみて分かったこととして、どんな国でも売れる環境はあるということもあります。ニューヨークに3,4店舗出してみてあんまり売れなかったので、アメリカ人は能作の商品は好きじゃないのだなと思っていました。ですが、ニューヨークにある美術館のストアから6,7年前に取引依頼がありまして、KAGOを販売したところ、あっという間に1000枚くらい売れました。記念品でもつけているのかとびっくりして連絡したところ「来るお客さんがちゃんと買っていっている、すごく売れているよ」って言っていました。既に5年くらい取り扱ってもらっています。

売れる場所は必ずあって、そこに巡り合えるかどうかが海外でやっていくための一番のポイントだと思っています。各地で合弁会社をつくるのは、その地域で繋がりやすくなり如何に売ってもらえる会社に巡りあうかという考えにあります。いつ成功するかというのは神様が決めることなので分からないですが、信じて続けることで成功する確率は上がり続けていきます。続けることで情報が入ってくるようになるので、その情報を聞いたときに方向転換をできるかどうかというのも第二のポイントです。

今後の展望

共創・共想

高岡の錫をブランド化するにあたって、何かやらなくちゃいけないということはありませんが、能作が頑張れば、高岡にある他十数社が追い付け追い越せと思ってくれればブランド化に繋がると思っています。なので、あまりやり方は隠さず、仕上げの外注会社さんに鋳物を渡して「能作さんと同じものにして」と言えば同じものができるようになっています。無駄な争いはせずに、共想・共創をしていくことで高岡を支える基盤の産業になれば、おのずと高岡の錫という地場産業が生まれることになります。また、うちの工場で高岡の名産品を売ることももちろんできますが、現在売っているのは能作の商品だけです。工場ではおすすめの県内の観光スポットなどをカードにして紹介しています。お客さんがうちの工場見学だけで観光を済ませてしまっては、産業観光にならない。富山をぐるぐる回ってもらって初めて産業観光になると思うので、そこもある意味会社のコンセプトに沿って、産業観光を共創しています。

次代への期待

現在、娘が専務として産業観光をはじめ、事業の多角化を図っています。お客さんからの声を受けて、最近では結婚10周年を祝う錫婚式を行ったりと私にも考え付かない新たな視点で展開しています。錫や鋳造に関わるという軸はずらさずに、新しい挑戦をする娘に期待しています。

また、SDGsの観点から古物商の免許もとり、役目を終えた能作の商品を送っていただき、回収した錫を原材料の一部に使用し、スプラウトプランターをつくる取り組みを行ったり、去年の11月に太陽光パネルを取り付けたりという取り組みも行いました。地球への恩返しですね。

これからも自分中心ではなく、相手中心に考えた仕事をしていきたいと考えています。


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