創業から120年を超える、日本で最も歴史のある総合不動産会社
今日は1896年に創業し、日本で最も歴史のある総合不動産会社である、東京建物をご紹介します。現在の「みずほ銀行」や「損保ジャパン日本興亜」と同じ旧安田財閥の創始者である安田善次郎によって設立されました。安田善次郎が大切にしていた「お客様第一の精神」と「進取の精神」の想いを受け継ぎ、創業以来近代的不動産業の草分けとして、様々な先駆的な取り組みを行っています。
東京建物の沿革
1896年 「東京建物株式会社」設立。
安田財閥創始者・安田善次郎により創立されました。
1902年 中国・天津での事業開始。
海外事業をいち早く展開し、戦前から東京建物の経営を支えました。
1929年 「東京建物ビルヂング」竣工。
関東大震災復興のなか完成、現在も本社ビルとして使用
1968年 マンション分譲事業へ進出。
高度成長期のマンションブームの時期に進出しました。
1979年 新宿センタービル竣工。
東京建物として初めて超高層オフィスビルを開発しました。
2002年 J-REIT 日本プライムリアルティ投資法人(JPR)上場。
2007年 「霞ヶ関コモンゲート」竣工。
文部科学省・会計検査院との官民共同大規模再開発事業です。
2012年~大規模オフィスビルが続々竣工。
中野セントラルパーク、東京スクエアガーデン、大手町タワーが完成しました。
東京建物の概要
会社設立当初より、住宅ローンの原型となった割賦販売方式での不動産売買を日本で初めて開始しました。これにより個人金融業者に頼ることしかできなかった住宅の建築や不動産売買における資金調達を、法人組織として初めて事業しました。1903(明治)年には、いち早く海外に進出し、中国・天津で住宅やビルの管理運営事業を展開しました。1998年(平成10年)には国内で初のSPC法(現・資産流動化法)に基づく不動産証券化第1号登録を取得するなど、不動産業界の中では先駆的な役割を果たしてきました。
不動産の鑑定に関しての歴史も大変古く、明治30年代以降から業務を行っており、昭和40年10月1日に設立された社団法人日本不動産鑑定協会(2012年4月1日付で、公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会に移行。)の発起人として参画するなど、不動産鑑定業界においても草分け的な役割を果たしてきました。
戦後復興期の住宅不足を補うべく、東京都において宅地開発を推進し、昭和40年代にはマンション販売を開始しました。また、その後の右肩上がりの経済を牽引する”オフィスビル”事業に積極的に取り組んでいきます。1964年に開発した「横浜駅西口ビル」は、1棟の建物を区分して所有する「区分所有ビル」の先駆けと言われ、先進的な取り組みの一例です。
高級賃貸マンションでは「Brillia ist(ブリリア イスト)」シリーズを展開しており、2005年(平成17年)に竣工した「アパートメンツ東雲キャナルコート(2018年5月Brillia ist 東雲キャナルコートに改称)」(総戸数423戸)は、「東雲キャナルコート 中央ゾーン」として、都市再生機構と共に2005年(平成17年)度グッドデザイン賞の金賞を受賞しました。
SPCを活用した再開発を得意としており、「オリナス(錦糸町)」や「VIORO(福岡・天神)」、「大手町タワー」などのプロジェクトがありますが、京急川崎駅前の商業施設「川崎DICE」については、法定再開発事業にSPCが単独で参加組合員となって事業参画した国内初のプロジェクトです。 東京都港区のサービスアパートメントを証券化し、不動産証券化ビジネスのパイオニアとして資金調達力を強化しました。竣工前に建物内を見学できる「建築現場見学会」を業界に先駆けて導入しました。また、グローバリゼーションが進むなか、平成18(2006)年には日本の総合不動産業として初めて中国・上海での分譲マンション事業に参入しました。