大手町、丸の内、有楽町に30棟以上のビルを持つ「丸の内の大家」
今日は1890年に丸の内の軍用地の払い下げを受けたところから始まった、国内有数の不動産ディベロッパー、三菱地所をご紹介します。三菱地所の事業の柱は、丸の内でのビル事業の賃料であり、全営業利益の6割以上をここから叩き出しています。実際に、1890年に岩崎家が日本政府から丸の内を購入してから形を変えながら日本経済の中心として機能してきました。近年でも、丸の内・大手町周辺の開発がますます進み、現在では10年超もの年月をかけて大手町連鎖型の複合開発に着手しています。
三菱地所の沿革
1890年 三菱社、丸の内陸軍省用地並びに神田三崎町練兵場土地(353,000m2余)の払下げを受ける。丸ノ内建築所設置
1893年 三菱合資会社設立
1894年 丸の内最初の事務所建築である「第一号館」竣工
1906年 三菱合資会社に地所用度課設置
1923年 「丸ノ内ビル」竣工
1937年 三菱地所設立:資本金1,500万円三菱合資会社より「丸ノ内ビル」並びに同敷地の所有権及び丸の内地区ほかの土地建物営業権を譲り受ける。三菱合資会社より同社建築課の業務一切を引き継ぐ
1945年 「八重洲ビル」(1928年3月竣工、1962年「丸ノ内八重洲ビル」と改称)並びに同敷地を三菱本社より現物出資を受け三菱地所所有となる。
1952年 「新丸ノ内ビル」竣工
1953年 東京、大阪両証券取引所に株式を上場
1959年 丸ノ内総合改造計画策定
1960年 「丸ノ内駐車場」竣工
1962年 「北海道ビル」竣工
1969年 赤坂パークハウス」分譲(マンション事業に進出)
1972年 三菱地所ニューヨーク社を設立
1973年 札幌、仙台、名古屋、大阪各支店新設
1978年 「新青山ビル」竣工
1981年 「日比谷国際ビル」竣工
1983年 「名古屋第一ホテル」開業(2001年4月「ロイヤルパークイン名古屋」に改称)
1984年 三菱地所ホーム株式会社設立
1986年 初の連結決算を発表。横浜事業所を新設(2000年4月に横浜支店に改組)
1988年 横浜・みなとみらい21・25街区開発構想発表
1989年 福岡でイムズ(天神MMビル)営業開始。東京・箱崎で「ロイヤルパークホテル」営業開始。「広島パークビル」竣工。広島支店(2000年4月中国支店に改称)、九州支店を新設
1990年 ロンドン・シティ「パタノスタースクエア計画」への参加を発表。ロックフェラーグループ社に資本参加
1993年 「赤坂パークビル」竣工。「横浜ランドマークタワー」竣工。「横浜ロイヤルパークホテル」開業
1996年 「大阪アメニティパーク(OAP)」竣工。本店を「東京ビル」に移転
1999年 「丸の内ビル」着工。子会社が経営する複合商業ビル「アクアシティお台場」を開業。ホテル統括会社株式会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ設立
2001年 設計監理事業本部を分社した株式会社三菱地所設計営業開始。三菱地所投資顧問株式会社設立
2002年 「丸の内ビル」オープン(8月竣工)
2003年 「三菱信託銀行本店ビル」竣工(2005年10月「三菱UFJ信託銀行本店ビル」と改称)。本店を「大手町ビル」に移転。「ロイヤルパーク汐留タワー」開業
2004年 「丸の内オアゾ(OAZO)」オープン(8月竣工)
2005年 「新丸の内ビル」着工。「東京ビル」オープン(10月竣工)
2007年 「新丸の内ビル」オープン。「ザ・ペニンシュラ東京」オープン(5月竣工)
2008年 株式会社サンシャインシティを連結子会社化。三菱地所アジア社開設
2009年 チェルシージャパン株式会社を連結子会社化。藤和不動産株式会社を完全子会社化。「丸の内パークビル」・「三菱一号館」竣工
2010年 「三菱一号館美術館」オープン
2011年 三菱地所レジデンス株式会社発足(会社分割の手法により、三菱地所、三菱地所リアルエステートサービス株式会社及び藤和不動産株式会社の住宅分譲事業を統合)。上海駐在員事務所開設
2012年 「丸の内永楽ビル」竣工。「大手町フィナンシャルシティ」竣工
2013年 「グランフロント大阪」オープン。「MARK IS 静岡」オープン。「MARK IS みなとみらい」オープン
2014年 三菱地所ビルマネジメントと三菱地所プロパティマネジメントを統合。シンガポール「CapitaGreen」竣工
2015年 TA Realtyを買収。「大名古屋ビルヂング」竣工。「大手門タワー」・「JXビル」竣工。
2016年 「大手町フィナンシャルシティ グランキューブ」竣工。指名委員会等設置会社へ移行
2017年 「大手町パークビル」竣工。台湾駐在員事務所開設
2018年 大手町パークビルへ本社移転
三菱地所の概要
三菱グループの中核企業の一つであり、不動産業界としては三井不動産に次いで2位に位置しています。旧三菱財閥が開発した東京駅周辺の「大丸有地区」(大手町、丸の内、有楽町)に30棟以上のビルを保有しており、特に丸の内に三菱グループの本社ビルなど、多くの物件を保有することから「丸の内の大家」とも呼ばれます。また三菱UFJ銀行や三菱商事、三菱電機など三菱グループ主要各社の本社も多く集積していることから、丸の内一帯は「三菱村」と例えられることもあります。また、横浜・みなとみらい地区の開発にも大きく関わっており、1993年には同地区のシンボルとも言える横浜ランドマークタワー(ビルとしては当時日本一の高さ)を開業させています。
今は「大丸有地区(=大手町、丸の内、有楽町)」において、1998年から2017年までの20年間で総額9,500億円を投資して高層ビルの建て替えをする都市再生事業を展開しています。これは既存のビルを、業務・商業・文化機能が付加された超高層ビルに建て替える事で、街全体の魅力を向上させて新規ビルと既存ビルの入居率・賃料を向上させる戦略に基づいています。既に丸の内ビルディング(丸ビル)、日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル、丸の内オアゾ、東京ビルディング、新丸の内ビルディング(新丸ビル)、ザ・ペニンシュラ東京、三菱一号館などをオープンさせています。
1970年代までの三菱地所は丸の内の再開発などのオフィス賃貸事業が売上面の主力でしたが、1980年代以降は海外や住宅事業に注力し、賃貸事業以外の売上を確保しました。住宅事業は賃貸ではなく不動産の開発および販売(売り切り)が中心で、まだマンションが珍しかった1969年より「パークハウス」シリーズを展開しており、三菱地所の主力事業の一つに育ちました。 オフィス賃貸事業では、交通利便性の高い駅から近いという立地条件が必須となります。このため、都心部駅前かつ広大な敷地面積を確保する企業に優位性が存在し、さらに「土地が安い時期」、すなわち鉄道が普及途上にあった「終戦直後(1950年)」までに一等地を仕入れた企業が優位に立ちやすい。この点において、三菱地所は東京駅が開業する前に「丸の内」という一等地の買収を決断しており、丸の内を現在に至るまで保有し続け、建物の老朽化に合わせて再開発を継続してきた点に絶対的な強みがあります。競合他社が丸の内という一等地の土地を取得するのは困難であり、三菱地所のオフィス事業の競争優位性は際立っています。