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花やしき

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浅草花やしき」は、江戸自体末期の1853年、嘉永6年に造園師の森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園として誕生しました。株式会社花やしきは、日本最古の遊園地となる「浅草花やしき」を運営する会社で、現在は、バンダイナムコグループに属しています。

  

花やしきの沿革

1853年、千駄木の植木商であった森田六三郎が牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」を開園。
1935年、仙台市立動物園に動物を売却し、事実上閉園。
1939年、須田町食堂(「聚楽」)が買収し、「食堂遊園地浅草楽天地」に名称を変更。
1942年、強制疎開により取り壊される。
1947年、遊園地「浅草花屋敷」として再開園。
1949年、「浅草花やしき」に改名。
2004年、浅草の企業であるバンダイグループの支援が決まり、バンプレストの子会社、株式会社花やしきが事業を承継。
2008年、バンプレストの事業再編に伴い、ナムコが親会社となる。

 

花やしきの変遷

上記の通り、花やしきの開園は1853年で、日本初の遊園地と言われています。ただ、上記の通り、花やしきは1942年に一度取り壊された後1947年に再開園したため、現存する日本最古の遊園地は大阪府枚方市にある「ひらかたパーク」となります。

花やしきは今でこそローラーコースターやメリーゴーランド、お化け屋敷など誰もが知るアトラクションを備えていますが、花やしきの内部は時代とともに著しい変遷をたどってきました。江戸時代においては、遊具はブランコしかなく、俳人らの集会の場などに利用されていたとされています。開園からしばらくの間は上流階級ばかりに利用されていましたが、明治時代に入ってからトラなどの動物の展示や遊戯機器の設置を行い、徐々に庶民にも利用されるようになったそうです。また、大正時代から昭和初期にかけては、遊園地というよりもむしろ動物園として有名になりました。そして、1947年に再開園した後、1953年頃から徐々に現在もあるアトラクションが登場し始めたようです。

近年の花やしき

多目的ホール「花やしき座」の設置、本格プロレス「ハナヤシキレスリング」のスタート、イルミネーション営業「ルミヤシキ」のスタート、「浅草花劇場」オープンなど、様々な取り組みをしています。


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