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ドラゴンボール

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日本を代表する冒険・格闘マンガ

ドラゴンボール(DRAGON BALL)は、鳥山明による日本を代表する格闘マンガです。世界中に散らばった7つのドラゴンボールを集めると、どんな願いも一つだけ叶えられるというストーリーで主人公の孫悟空の冒険・格闘マンガです。1984年から1995年までの約10年間、週刊少年ジャンプに連載されました。単行本の発行部数は、全世界で2億5,000万部以上となります。

   

DRAGON BALLが生み出した市場は、2兆円以上

DRAGON BALLは、マンガ、アニメ、ゲームなどのコンテンツとして、全世界に配信され、DRAGON BALLが生み出した市場は、2兆5,000億円以上と推定されています。元々は、西遊記をベースにストーリーが展開する予定だったが、実際には、オリジナル要素が強い内容となっていきました。

   

DRAGON BALLが登場した背景

ドラゴンボールの連載が始まる前には、鳥山明は、Dr.スランプの連載が続いており、このギャクマンガのアイデアが尽きけけていたため、連載を終了させたがっていたが、Dr.スランプの人気が高く、そう簡単に連載を終了させるわけにもいかず、連載終了3ヶ月後に新連載を始めるという条件でドラゴンボールの連載が始まった。Dr.スランプは、ペンギン村に住む発明家、則巻千兵衛が作ったアンドロイドの女の子、則巻アラレが巻き起こすギャグマンガであるが、当初は、則巻千兵衛を主人公として、毎回、発明で失敗するという方向性のストーリーだったが、担当の強い要望で則巻アラレが主人公となってしまっために、人間味のないアンドロイドが主人公として、毎回、ストーリーを展開することになり、かなり、苦しみながら連載が続いた。Dr.スランプは、アニメ化されれ、視聴率36.9%と当時のアニメ視聴率歴代3位を記録するなど大ブームとなったが、この時の担当者編集者がDr.スランプとドラゴンボールの天下一武道会までを担当しており、連載開始当初は、あまり、人気も上がらず、アンケート結果が15位になることもあったというが、天下武道会で読者アンケート1位を獲得し、その後、不動の人気を確立するようになりました。

   

鉄腕アトムの影響 ?

鳥山明が尊敬していた漫画家は、手塚治虫とウォルト・ディズニーということで、鉄腕アトムに登場するロボットを毎日のように描いていたとのことです。孫悟空の髪型についても、本人は、作ったときは意識してなかったけれども、鉄腕アトムの影響かなと語っている。

   


DRAGON BALL モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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