width=

古き良き和の心「くにさき七島藺」<GIインタビュー>

 width=

日本の文化といえば、歌舞伎や能、刀や和食文化など、様々なものがあります。中でも、「畳」は日本人に広く知られております。そして、畳には畳の表に付ける畳表が欠かせません。今回は、GI登録産品である「くにさき七島藺表」という畳表、そして、くにさき七島藺表の原料となるくにさき七島藺に深く携わっていらっしゃる、くにさき七島藺振興会の事務局長をなさられている細田 利彦 様に取材させて頂きました。

くにさき七島藺の魅力

 
kunisakishichitoui_hosoda_c2.png

 

い草と七島藺の違い

い草と七島藺の違いについて、一般の方はほとんどご存知ないですが、い草というのは平安時代から昭和初期頃までは、公家や寺社、武家社会もしくは富裕層に使われてきた畳表になります。そして、大体が、お座敷などお客様を迎え入れる場所に使う畳です。一方、七島藺というのは江戸初期から使われ基本的には庶民のためのもので、農村とか炭鉱、庶民の住居といった生活の場で使われてきた畳です。

「耐久性」と「香り」が特徴

現在では、七島藺は非常に高価な畳表ですが、かつては安くて丈夫ということで広く庶民に使われてきました。今の時代でしたら普通に使えば30年、40年使うことができます。い草でしたら15年程度ですので、七島藺とい草では丈夫さが全然違います。
一番の違いは、い草は染土という泥染めをします。七島藺は泥染めをしないでそのまま乾燥させますので、草独特の香りがします。その香りというのが、い草の香りと全く違って非常に甘い良い香りがします。
ですから、七島藺の表を望まれる方は、「い草か七島藺のどちらか」ということで七島藺を選ぶのではなく、「七島藺でなければならない」という方が多いです。

こだわり

材料から生産

簡単に言えば、くにさき七島藺表はもう工芸品の域に入っています。一般的な工芸品であれば、材料を購入して作られますが、くにさき七島藺表の生産者の方たちは、材料から自分で作っています。

細やかな気配り

原材料の七島藺の栽培の方法が悪いと、当然製品も良くないということになりますので、栽培から製織まで終始細やかに神経を使わなければなりません。七島藺の畳はもともと庶民の畳でしたから、今のように終始神経を使って栽培から製織まで行われていた訳ではありませんでした。しかし、現在我々が作っている畳表はいわゆる庶民のための畳表と呼ばれるものではなく、高級畳表として作られていますので、基本的には栽培方法は昔と同じですが、気配りなどは昔とは全く異なります。

 
kunisaki-shichitoui02_w960.png刈り取りの様子

 

くにさき七島藺の産業再生

くにさき七島藺はただの「貧乏草」だった

団体として動き出してからは10年程度になりますが、私がこの事業に取り組みだしてからは18年程度になります。
くにさき七島藺振興会を作る少し前の時点では、生産者が5軒しかなく、ほとんどの方が70代80代でした。また、国東(くにさき)のなかでは七島藺は「貧乏草」と呼ばれ、ある意味忌み嫌われる産業でした。というのも、非常に過酷な作業の割には収入が少なく、したがって、地域でこの産業を再生するといった動きはまずありませんでした。このような状態で、再生するということになると「誰が応援してくれるんだ」ということになるんですね。生産者は当然応援しないですし、自分の子供にも絶対させないという産業なんです。

「現実的に不可能」を可能にした二つの想い

ただ、くにさき七島藺は、文化的な価値と商業的な価値が非常に高かったんです。
商業的な価値というのは、国産(国東産)の琉球表(シチトウを使った畳表)は当時入手が困難と言われていました。当時はほとんど中国製だったんですね。それから、段々と皆さんが和の文化に気が付かれて、「昔の良いものが欲しい」という風潮にはなったのですが、生産者が5軒しかありませんでしたから、手に入れようとしてもなかなか手に入らない状況でした。ただ、しっかりとしたものを作れば売れるという自信はありました。
また、かつては高級畳表といえば岡山県や広島県でしたが、そこの産地がほぼ消滅してしまいました。畳の文化自体はどんどん衰退していく中で、い草はまだ熊本県があったんですが、七島藺はこの国東半島にしかありませんでした。なので、ここが無くなると日本から七島藺という庶民の畳表が消滅してしまうと思いました。
「現実的に不可能」と言われた事業ですが、この二つの想いから、逆に言えばまだ生産者が5軒ある訳ですので、そこからスタートしようということになりました。

マイナスからのスタート

生産者が5軒という時点で、もうマイナスからのスタートな訳です。良くも悪くも一番最初が一番どん底な訳ですから、もう前に走るしかないんですね。言い方は悪いですが、地道にコツコツやっても再生はもう不可能なので、第一にやらなければならないことは後継者を作ることでした。「そのためにどうするか」といった時に言われたのが、ひたすらPRとイメージ戦略だったんですね。私たちの活動が上手くいったのは、「この地域を元気にしよう」という会がありまして、その中でイラストレーターさんやデザイナーさんなど様々な業種の方が東京や地方から来られて、実際のマーケティングのやり方や広告の打ち方を教えて頂きました。
心が折れるというよりは逆に、山ほどやらなければいけないことにチャレンジしていくことが楽しかったです。そして、それが形として現れてくるんですね。一つ階段を上ると、目の前に階段が現れるのですが、それを誰かが支えて上らせてくれるということで、一つ一つ上っていきました。

最大目標

くにさき七島藺振興会の農家さんとの最大目標は、「シチトウを植えて儲かる」です。いわゆる特産品や伝統工芸品というものは、皆さん色々な想いがあるのですが、「これは本物ではない」とか「その作り方はおかしい」とか、内部分裂が起こったりするケースが非常に多いんですね。しかし、「儲かろう」と言う人に対して「いや、儲かりたくない」と言う人はいない訳です。そこを全てキーワードにして、儲かることに対して皆楽しく、お客さんが望むものを作っていこう、と活動しています。

提供するのは商品ではなく想い

商品を提供するのではなくて、想いを伝えようということですよね。ですから、私たちは七島藺をPRするのではなく、七島藺を作っている生産者の方や工芸品を作っている工芸士の方たちに光を当ててPRをするという方法を採りました。七島藺が欲しいというよりは、この人の七島藺が欲しい、この人の工芸品が欲しい、となるような切り口でやってきました。

地理的表示(GI)保護制度

GI登録を受けようと思ったきっかけ

GIが始まるときに「い草がGIに登録する」と農林水産省から連絡がありました。「七島藺はどうされますか」ということになりましたので、「い草の方がやるのでしたら、うちも是非やります」という形になりました。
では何故、七島藺をGI登録させようかと思ったかと言いますと、やはり広告宣伝に絡みます。まず、一般の方は七島藺を知らないし聞いたこともないんです。10年前では大分県でも知らない方がほとんどでした。琉球畳というのは皆さん知っているんですね。でも本当の琉球畳というものは知りません。七島藺が琉球畳では困るんです。これは、大分県の特産品ですから。
本来、GIというものは名前を守るためのものではあるのですが、七島藺はほとんど知名度が無かったものですから、名前を守るという以前に名前を知らしめるためにGIに登録しました。まずは「知名度を広げる」、それが第一です。

GI登録を受けてからの変化

知事公舎までご挨拶にいける訳ですよ。いわゆる貧乏草といわれたものが、知事公舎に「GI登録を受けました」といって、農家さんも連れていきました。農家さんだってそういうことは普段ありませんからね。新聞にも載りますし、そういうことがやはり大きかったですね。

活動を支える想い

畳の良さを多くの人へ

七島藺だけに限らず、畳の良さを知ってもらいたいということなんです。例えば洋間でしたら、椅子が無いと座れません。テーブルが無いと食事ができません。ベッドが無いと寝られません。畳の部屋でしたら、座ればそこが椅子になるし、寝ころべばそこがベッドにもなるんですね。どのような形でも使いようがあります。また、機能的にも、フローリングの部屋でしたら底冷えしますが、畳を敷きますと底冷えしません。
最近は、畳の部屋は減っていますが、ホームセンターでは置き畳が非常に売れています。また、ネットでは琉球畳といわれる薄い畳が非常に売れています。ということは、和室と言われれるものは減っていますが、畳文化は決して減ってはいないということなんです。今までの和室という空間ではなくて、「畳を機能として使いましょう」というようにPRしています。
そして、面白い研究結果が出ていまして、「子育ては畳の上で」というものがあります。畳の上で勉強すると優秀な子供が育ちます。これは実際に研究結果が出ておりまして、子供に聞くと「落ち着く」と言います。畳を敷くと、皆さんフローリングに比べて静かに歩きます。音がしないので集中できますし、新しい畳でしたら香りがいいです。特に小学校低学年の子供や、富裕層のお子さんが通う幼稚園では、畳の部屋で色々過ごすということが行われています。家が洋風・和風ということではなく、畳の良さを伝えていくということで活動しています。

後継者やこれから携わる人に伝えたいこと

この七島藺の産業は、まだまだこれ一本で食べていくのはなかなか大変なんです。大体作れば売れるのですが、数が作れないんですね。1日1枚しか出来ません。それも、当然農繁期は七島藺の織は出来ませんから、織が出来るのは10月、11月から3月まで、この期間でしか作ることが出来ません。そこで今私たちが取り組んでいるのは、量産化です。1枚を2枚、3枚に、といった規模の量産化ではありますが、それでも所得は倍や倍以上になりますからね。3枚作ればもっと所得が増える訳です。
地元の方は田舎で育ってますから、どうしても都会に行きたいんです。それはもう仕方のないことだとは思うのですが、そういう人たちが都会へ行って、もう一度国東に帰ってきて、仕事をしたいと思ってもこういう田舎ですと仕事が無いんです。ですから、そういう方たちの仕事にしていきたいんです。「帰っても七島を植えれば生活ができる、子供も育てられる」。このような産業としての仕組みを作っていきたいです。そうすれば、若い方たちも安心して作れますし、都会でブラックな会社に入っているような方たちにも、この田舎で違う暮らし方をしてもらえれば、というのが私たちの想いです。

 

くにさき七島藺を使った魅力的な産品

円座、角座

円座や角座は、戦後に山奥のおばあさん達の内職仕事として作られていたという背景があります。若い方たちは外へ出て農作業が出来ますが、高齢者の方々は外へ出て農作業をするということが出来ません。なので、戦後復興の際におばあさんたちの内職仕事として円座や角座、それからラグマットなどを製造していました。今はあまり作られていませんが、昔は縄のれんも七島藺を用いて作られていました。

工芸品

工芸品に関しましては、工芸士の女性の方がいまして、その方は地元の方ではないのですが、こちら国東に来られました。そして、七島藺に非常に魅力を感じられて、円座や角座から始められました。しかし、円座や角座は非常に手間が掛かりますし、多くの方に手に入れてもらうことが出来ません。その時に、もっと「手軽でおしゃれに身につけられるものを」ということで、ミサンガなどが作られるようになりました。
一番初めは、体験授業の中で作られてきました。私たちはPRという形で、色々な団体様の来訪を受け入れていまして、その講座の中の一環として「工芸品を体験してみよう」ということでミサンガ作ったり、ミニコースターを作ったりしていました。そこに目を付けた方が「これを商品化してみたらどうか」ということで、今では東京などでも販売されています。

七島藺×テクノロジー

現在活用しているテクノロジーと取り組み

私たちがこの事業を始めた時から、工程表を作っています。その工程表には自動化していくといった工程も含んでまして、機器の改良といったことも行っています。現在出来ている機械は、7、8時間織をするとすれば、4時間は細すぎる草や虫食いがある草などを1本1本選別していく選別作業です。まずはその選別作業を省力化しようという形で、選別機が昨年完成しまして、現在稼働しています。
しかし、その選別というのは例えば、虫食いとか色が悪いというのは誰が見ても分かるのですが、太い細いはその人その人の感性なんですね。これが理由で選別が難しく、外部に委託が出来ません。Aさんは太い、Bさん中くらい、Cさんはちょっと細いかなと思っちゃうと、選別にならないんですね。
これを機械選別にすると、均一な太さができます。そこを外部に委託して、目で見て分かる色合いや虫食いの選別のように、外部委託できるんですね。現在ではまだなかなか難しいのですが、障碍者の方たちや高齢者の方たちにお願いして、地場産業として裾野の広い仕事ですね、ですから生産者だけにお金がいくのではなくて、選別とかそういうことでもっと広くお金が行き渡るような仕組みを作っていこうという形で、現在やっております。

これからの目標

次に考えているのは、刈り取りという作業は非常に腰に負担がかかる作業なので、刈り取り機械による自動化を考えております。刈り取り機と言ったら、「お米と同じように刈り取ればいいんじゃいないの?」と思われるかもしれませんが、基本的には七島藺は花と一緒で、茎が折れてしまうと使い物になりません。ですから、優しく折れないように刈らないといけないので、素人の方に刈らせるわけにはいきません。
それを機械で刈るというのは非常にデリケートな作業になりますので、そのような機械が出来るのであれば農家さんの負担も減るかと思います。また、今は1本1本草を織り込んでいくんですけれども、最終的にはい草の機械と同じように、トレーのようなものに入れると、機械が自動的に織ってくれるというところまでいきたいなと考えております。

トレーサビリティについて

GI登録を受けるに至ったきっかけの一つがトレーサビリティです。七島藺は、現在ほとんどが中国製なんですよね。ですから、一般のお客様が国産だと思って購入されても、もしかしたら中国製かもしれないということが常にお客様の中で不安があります。やはり、そこを払拭するためにGI登録をしてます。そして、私たちのGIの証紙は、エンドユーザーまで届くような仕組みをとっております。農産品でしたら、野菜や果物が買われたらそこにGIシールを貼ることが出来るのですが、私たちの場合には、畳表にはGIシールを使えますが畳には使えないんです。
そのような場合のために、私たちは畳屋さんに「GIの証紙をお客様に渡してください。」とお伝えしています。「この畳にGIシールは貼れませんが、畳表はGI産品ですよ。」とすれば、お客様も安心して購入することができます。証紙の中には農家さんの名前も当然入っていますし、私たちくにさき七島藺振興会の名前も入っています。
私たちが証紙の中でやっていこうとしていることは、そこから七島藺のファンを増やしていこうという形です。そのような面も含めて、トレーサビリティというのは絶対的な条件になるのかなと思います。

海外展開

海外での需要

私たちは、徐々にではありますが七島藺の価格を3年、4年くらいかけて価格を倍に上げました。生産者の所得が増えなければ意味がないので。現在では、農家さんはある程度の所得を稼げるようにはなったのですが、私はもっと高い畳を売りたいと考えています。しかし、それはもう国内ではなかなか難しいです。例えば、畳を10万で売ろうとしても国内では買われる方はいないのですが、海外へ行けば10万が20万になっても皆様買われるんですね。

MADE IN KUNISAKI

5、6年前になりますが、ニューヨークの方で「日本のセレクトショップに出してみないか」というお話がありまして、工芸士さんとうちの会長で行ってお話し合いをしたときに、海外の方、特にアメリカの方は、古い歴史のあるもので生活に使うものを欲しがる傾向があるというお話をされました。それは、飾っておくものではダメだというんです。日々使えるものであり日本のような歴史のある国で作られていて数少ないもの、というと、欲しがるは結構いるということなんですね。したがって、次のターゲットはそういうお客様に、MADE IN KUNISAKIの七島藺の畳もしくは工芸品を提供できるような仕組みを作っていきたいです。
くにさき七島藺だけで海外展開というのは難しいので、県内の私たちと同じような「かぼす」などの産品を地元の商社が海外と連携して商品を提供するような仕組みを作れれば面白いなという風には思っております。

振興会の展望

七島藺の産業が、昔までとは言いませんが、「大分県の特産『七島藺』」という知名度が上がるくらい作っていきたいと考えております。海外展開もそうですが、工芸品も含めて、オール国東で色々な商品を作っていきたいです。七島藺というものは畳表だけではなく色々な可能性を秘めています。それを深堀りしていって、色々な産業をこの国東で作っていきたいです。そして、それに携わる人がどんどん増えていって、そこで皆楽しく暮らしていく、そういうふうな理想を考えています。

kunisaki-shichitoui04_w960.png小学校でのお話会

 

くにさき七島藺ができるまで

くにさき七島藺ができるまでを撮影した動画をご紹介させて頂きます(筆者コメント)。

七島イができるまで(5月~7月)
https://www.youtube.com/watch?v=uKhKF8MN9OI

七島イができるまで(8月~9月)
https://www.youtube.com/watch?v=pX26ddqq1HY

kunisaki-shichitoui05_w960.pngくにさき七島藺表を使用した部屋

 

くにさき七島藺の文化や畳の素晴らしさ<GIインタビューのおわりに>

細田 様には、くにさき七島藺の文化や畳の素晴らしさについて、詳しく語って頂きました。日本にも西洋式の住居が増えていながらも畳文化が残り続けているのは、細田 様のように畳を広げる活動を熱心になさっている方々がいらっしゃるからだと思います。
本記事をお読みの皆様も、是非くにさき七島藺を更に知って頂き、よりくにさき七島藺を、そして畳を好きになって頂きたく思います。

>>商品ページはこちら
>>ホンモノストーリー動画はこちら

関連記事